今回はthe electrohippie collectiveについて解説します。
ソフトウェア界のヒッピーカルチャー
リチャードストールマン - The Guru of the free software - フリーソフトウェア財団の創設者
ソフトウェアは無料であるべきだ。知識は誰のもとにも平等であるべきだ。 - リチャードストールマンはGNUを始めたときにヒッピー文化と合致点を見出してひげを伸ばし始めたんだそうです。”共有する文化”、それは東から来たもの。私たちにとっては私たちが伝統的に持ち合わせている長所の再発見に他ならないのです。
Frank Van Bogaert - Hi-Tech Hippies
the electrohippie collective

Hippieの格好をしたTux
これが恐らくhi tech hippiesの語源になっている団体です。英国オクスフォードシャー州に本部があり、政府によるメディアやインターネット検閲に対抗する団体として発足しました。注目を集めたのは世界貿易機関[WTO]のグローバリゼイションのカンファレンスに対する代表者の立ち入り阻止と同時に行われたインターネット上で呼びかけによるのDOS攻撃でした。
ピースサインを示しながら講義する人達。

敵がいなくなった今も静かにいくつか変わったプロジェクトを運営しています。
- the 'simple' campane
ソフトウェアの肥大化を抑え、webページを軽量にすることで地球温暖化を防ごうというプロジェクトです
- browser alert!
ウェブサイトに専売ブラウザ(Internet ExplorerやSafari)でアクセスしたときにリダイレクトされるページです。専売ソフトウェアと無料ソフトウェアの違いについてお説教しています。
親になっている団体がF.R.A.W. - the free range activism websiteという団体で、さらにいろいろな兄弟プロジェクトがあります。Ehippiesはそのうちのinternetに関する活動のようです。
- Hacktivism
Hack + Activism[現状改革主義] = Hactivism
ハクティヴィズムとは、政治的目的のための違法・合法性がはっきりしないツールの非暴力な使用によるインターネット上の攻撃を意味します。ハクティビズムに関してはいろいろと書籍が出ているようなので興味のある方は掘ってみて下さい。Ehippiesはハクティヴィズムの解説の中でこのようなことを述べています。
PRという言葉が使われるようになってから消費者主義は人間性の機構が成立する唯一の方法として描かれている。そしてそれは明らかに唯一の選択肢ではない。しかし、そのメッセージを周知させるためにはPRが使用しているマスメディアのツールを操作し、再構築しなければならない。社会的、コミュニティの現状改革主義はそれゆえに技術マシンに従事しなければならない - そしていかに近代社会が将来取るに足らない存在になるかを示すために、近代社会を支える技術的マシンとそのプロセスを、それ自身と技術的主導権に対抗するために変えなければいけない。前回書いた"優しい暴動"と不思議と一致していました。当時、英語の文献が読めませんでしたから、彼らの理念まで理解してhi tech hippiesが好きだったわけではなかったのです。ファッションとか感覚だけでフォローしていても同じようなことを考えてる人が世の中にはいるんだなと思うと不思議なものです。
Hi-Tech Hippiesとは何者なのか?
正確に定義をしている文献を見かけたことがありません。端的に言うとヒッピーが持ち合わせていた文化を都会文化に適用した人達といったところでしょうか。社会で生活している間は自分の考え方や性質を積集合にすり寄せて矯正しなければなりません。でも社会を構成する人達にはいくつかのタイプがあって、その中に極端に純粋な人達がいて、ちょっとした白い嘘や無理の積み重ねに疲労感や罪悪感を感じていたとします。そういったいわゆる本音だけで生きたい人がヒッピーが元来持ち合わせていたコミューンを実社会に導入しても成立するんだと思って実践したのではないでしょうか。例えば前回書いたような街中でスケーティングをするとか、コンピューティングするとか、奇抜な格好をするというのは彼らからすると自分の主義主張を表現する一つの場であるし、カッティングエッジであることのステータスシンボルのような役割も持っているのではないでしょうか。この極端に純粋な性質ですが、一体どこから来たものなのでしょうか?一つには都会文化が生み出したもので、逆に都会文化と切り離せないものであるといえます。生死に関わる問題や実生活に関わる問題が山積みだった時代にこれが成立したでしょうか?もう一つには仮想敵を設ける必要がないという理由が考えられます。後はインターネットの登場による知覚的生活の変化が重要な役割を果たしたと思います。実生活とサイバー空間の区別のない人達の登場です。彼らのうち多くの人達にとって60年代のコミューンはサイバー空間にあるのではないでしょうか?
こうした感覚は前回挙げたYMOの曲のようなフワフワとした現実感のない感じ、それから今回のFrank Van Bogaertのたたみかけるような優しい感じがとても上手く表していると思います。
自分にとって
先述のEhippiesのHactivismの記事の消費者主義についてですが、私は今でこそお金を稼ぐのは大好きですし、自然で健康的なことだと思っています。それにハッキングやDOSを肯定するわけではないです。だからこんな風に強い意見を持つことはないです。でもやっぱり、お金という目的が先行して商売をしている人は好きではありませんし、自分だったらできるだけ自分自身が価値があると人に自信を持てるもので商売したいものです。また上手に嘘をつける人達とは何か生まれながらに性質が違うんだなという意識の差があります。だから今でもふとした折に自分のアイデンティティをこういうところに置いていて、自分が帰り着く場所なんだなと思い出すことがあります。今でも時々思い出すのが子供のころ友達の家でスーパーマリオを2Pでやってたとき、友達が穴に落ちればスターマリオになれるよって言ったのを本気で信じて死んでしまって交代したっていうことがありました。嘘を初めて学んだ記憶です。後は子供のころに読んだ絵本とか童話や道徳教育と実社会のギャップなんかが自分の自我を決定していると思います。だからHi-Tech Hippiesの他人に捕らわれないスタイルに憧れがあったりするわけですが、結局裏を返せばそうやってできたプライドというものも他人への恐怖やコンプレックスの裏返しではないかなと思います。だからこうしたギャップを埋めたり、子供時代にできた自分の性質に理由付けをするために実は半生をかけているんじゃないかなと思ったりもします。反抗の時代とは全く性質の異なるHi-Tech Hippiesと呼ばれる人達が90年代から登場して、静かに自分達のコミューンを楽しんでいるんだというお話でした。