2010/07/11

目標が遠のいたとき

悲しみで頭がいっぱいになった時、同時に目標が信じられないほど遠のいた。目標が遠のいた時、僕は一人が心地良かった。目標が遠くに見えたとき、やみくもに味方してくれる言葉よりも自分の足らないところをはっきりと指摘してくれる友や先輩の言葉がありがたかった。目標が遠くになりすぎて負けようかと考え始めていた時、自分の人生に中指を立ててそれにしがみついた。何もなかったから悲しむのをやめて足元を見て身の回りの手のつけられるところから努力を始めた。

それから半年、家で食べるクッキーをエンジンにし、毎日のように一杯の紅茶でカフェに居座り、プライドを捨て、あせる気持ちを努力で押さえ込み、自分は社会的に不要なんじゃないかという葛藤を抑え、少しずつ実力を積み立てた。自分のことを気狂いかparanoidかと思った。こういう気持ちは当事者にならないと分からないかもしれない。最初は自分の進んでる方向に自信がないまま努力した。抱え込んだ悲しみに絶望しながら、それを無理やり忘れようと努力した。そういう中で闇の中でわらをも掴むような気持ちで自分の能力だけを信じ、いつか酬われるのを信じて努力するのは本当に辛かった。あれから半年...あんなに遠かった目標が近づいた。あれから半年、今日のために頑張った。あれから半年、そうして鍛錬した精神性は積み上げられ血となり肉となった。

もっとうまくやれたかもしれない。でも、簡単に変わるものは無い。

そんな技術者の美徳の話




- After 15 years of practice...

そんな中読んで感銘を受けた記事。親友からも歌の才能がない、作曲に専念しろと言われたミュージシャン。15年の練習の末、お客さんに天性の歌声の持ち主と褒められるまでに至ったまでの話。他人と優劣を付けるやり方は気の長い目標を達成するには十分じゃない。最後に残るのは所詮自分一人の意志。人は自分と違う温度で違う時間を過ごしてる。誰からも向いていないと言われた人がどういう気持ちの持ち方で、15年も一つの事に固執できたのだろうか。そういう感覚に耐えられるだろうか?15年。


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